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東京高等裁判所 平成7年(く)21号 決定

少年 K・W子(昭53.1.21生)

主文

本件抗告棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、附添人弁護士○○名義の抗告申立書及び意見書並びに少年名義の抗告申立書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

そこで、記録(少年調査記録を含む。)を調査して検討する。

一  附添人の抗告理由第一について

論旨は、要するに、原決定は、少年が「平成6年6月ころには軟派された成人男性と同棲して覚せい剤を使用していたようであり、この男性と別れた後も、同年10月こるから別の成人男性と交際して半同棲のような生活を送り、仲間と覚せい剤を複数回使用するなどして」いたことを虞犯事由として認定しているが、〈1〉真実右のような覚せい剤使用の事実が認められるのであれば、少年を少年法3条1項1号の犯罪少年として立件、処遇すべきであり、虞犯少年として取り扱うべきではなく、また、〈2〉本件送致の直接のきっかけとなった平成6年12月5日の覚せい剤使用の事実については、尿検査の結果覚せい剤の反応が出ていないことから、犯罪事実の認定が困難であるとされたが、このような事実を虞犯事由として認定することは、少年法3条1項3号の制度の趣旨に反するものであって、いずれにせよ原決定には決定に影響を及ぼす法令の違反がある、というのである。

しかしながら、〈1〉少年法3条1項3号イロハニに掲げる虞犯事由はいずれも抽象的な表現に止まっているところ、これに該当する具体的事実の中には、虞犯性の徴憑として、例えば「深夜外出」、「家出」等と同レベルで、証拠上犯罪事実として個別化、特定し難いような犯罪該当行為(例えば万引行為を繰り返すなど)も含まれるものというべく、それが認められるからといって直ちに犯罪少年として取り扱わなければならないものではなく、また、〈2〉関係者の供述その他の証拠から十分有罪の心証が得られる場合であっても、犯罪事実、ことに薬物使用事犯の認定には一層慎重を期し、例えば尿検査の鑑定結果を俟つなどの運用が一般に行われているが、このような運用から犯罪事実としての認定にまで至らない場合であっても、関係証拠から十分心証を得られるときは、これを虞犯性の徴憑事実として認定することは妨げないものというべきである。

これを本件についてみるに、関係証拠に照らし、所論引用の原判示事実は優に肯認するに足りるから、原決定に所論の法令違反はない(原判示「複数回使用」の中に、所論12月5日の使用事実が含まれるか判然としないが、関係証拠上は右事実についても証明は十分であり、尿検査の結果覚せい剤の反応が出なかったのは、尿の提出時期との関係に過ぎないものと認められる。)。

論旨は理由がない。

二  附添人の抗告理由第二及び第三並びに少年の抗告理由について

附添人の論旨は、要するに、原決定が、処遇の理由として、「少年の薬物に対する依存傾向が進行しつつある」とした点及び「少年にとって保護観察は何ら意味をもたなかった」とした点には重大な事実の誤認があり、また、その他諸般の事情からすれば、本件のような虞犯性を根拠に少年を医療少年院(医療措置終了後は中等少年院)に送致することは処分の著しい不当であり、少年に対しては、保護観察の継続、あるいは仮に少年院に送致するにしてもせいぜい短期処遇が相当である、というのであり、また、少年の論旨は、要するに、処分の著しい不当をいうものである。

少年は、中学3年時の平成4年8月に虞犯保護事件(シンナー吸入等との関係での虞犯性)により試験観察となり、その後、トルエンの吸入目的所持、原動機付自転車の無免許運転を引き起こし、これらの事件をも併せて平成5年4月12日に保護観察処分を受けておりながら、その直後の同月21日にはまたトルエンの吸入目的所持の事件を起こしており(別件保護中のため審判不開始)、また、飲食店のアルバイトなどをしたものの長続きせず、同年10月ころから徒遊状態となり、翌平成6年6月ころにいわゆる軟派されてその男性と同棲して覚せい剤を頻繁に使用し、その生活に不安を感じて右男性のもとから逃げ出したものの、なお徒遊生活を送り、同年10月ころからまた別の男性と交際して半同棲の生活を送り、その間にも覚せい剤を使用し、そして、今回の虞犯事件立件の契機となった12月5日の友人女性らとの3人による覚せい剤の使用に至ったものである。

所論は、原決定が、少年と薬物との関わりについて、「精神的にも依存傾向が進行しつつあるものといわざるを得ない」と指摘している点につき、むしろ、少年は自発的に覚せい剤を止めようと考えていたのであるから右の指摘は間違いである、という。しかし、〈1〉前示のように、少年はトルエンの吸入目的所持等で保護観察に付されていたのであり、薬物の使用は厳に慎まなければならない立場にあったのに、より弊害の深刻な覚せい剤の使用に移行したものであること、〈2〉他の薬物を試しに使用したとも述べていること、〈3〉たしかに、所論指摘のように、少年が最初に同棲した男性のもとから逃げ出した理由のひとつが覚せい剤を注射されることに恐怖感を持ったことにあるけれども、前示のようにその後も別の男性と半同棲の生活をし、その間も同じように覚せい剤を使用していること、〈4〉また、今回の虞犯事件立件の端緒となった覚せい剤の使用に関しては、少年は男性と別れた寂しさを紛らわせるために覚せい剤の使用を思いつき、少年の方から友人2人を誘って、自らは中学校時代の養護教諭に嘘を言って5000円を借り受けた上、3人で合計2万円を用意し、少年が覚せい剤の売人と連絡を取って入手してこれを使用したのであり、積極的に関わりを持ったものであること、などこれまでの薬物使用の経緯や鑑別結果等で指摘されている少年の性格等からすれば、たとえ所論がいうような少年が友人との右使用の後に、友人と「覚せい剤はもうやめよう」と約束をしていたという事実があったとしてもなお、「少年の薬物に対する依存傾向が進行しつつある」ことは疑いのないところであって、この点についての原決定の認定、判断に所論の誤りはない。

次に、保護観察の状況についてみる。所論は、少年は保護司のところに毎回きちんと経過報告に行っており、遵守事項について違反したことは一度もないという。たしかに、所論指摘のように、少年と保護司や保護観察官との接触は比較的良好に保たれていたとはいえるのであるが、他方、その間、夜遊び、外泊等が頻繁になされ、結局前示のような覚せい剤使用の経過をたどったものであって、遵守事項について違反したことは一度もなかったなどとは到底いえるものではなく、保護司ら関係機関の指導の努力も及ばず保護観察の実効が上がらなかったものといわざるを得ない。したがって、「保護観察は何ら意味をもたなかった」との原決定の認定、判断は表現がやや強いにしても決して誤りであるとはいえない。所論は、前示平成5年6月からの少年と男性との同棲について、保護司の許可を得ていたのであり、少年はもし保護司の許可がなければ右男性と同棲しなかったであろうし、同棲していなければ覚せい剤と出会うこともなかったであろうから、保護司の指導にも問題があったと主張する。しかし、少年が好意を抱いた男性と同棲するか否かなどの事柄について、もとより保護司に許可、不許可の権限があろうはずがなく、また、少年の意向を両親が黙認した形で同棲関係を先行させた上で事後に保護司に報告してきたことが窺われるのであって、保護観察の実効が上がらなかったことにつき保護司に責任を転嫁するがごとき右所論には到底与し得ない。

このように少年の虞犯性は顕著であり、要保護性も高い。所論は、少年は今までの生活を反省し、保母の資格取得を目指すなど自らの将来を真剣に模索し始めており、また、両親は少年に対する監督態度を根本的に変えていこうという意欲に燃えている、という。もちろん右のような態度は評価できるところであるが、先に指摘した本件に至る経過自体とそれから窺われる虞犯性及び要保護性の程度からすると、事態は既に深刻であり、これまでのように社会内での処遇を継続しても問題点の解決は困難な事態に立ち至っているものといわざるを得ず、少年の今後の更生のためには少年を早期のうちに相当期間施設に収容してそこでの矯正教育に委ねるのが相当であるといえる。

所論は、覚せい剤を一緒に使用した他の少年との間の処分の不均衡を主張するが、少年の保護処分は、非行性や虞犯性の程度、少年の資質、性格、保護環境等を総合的に考慮して判断する、極めて個別的なものであるから、他の少年が少年院送致の処分を受けていないからといって、処分に不均衡があるとはいえない。

その他所論にかんがみ検討しても、少年が性病に罹患しているところから、少年を医療少年院(医療措置終了後は中等少年院)に送致するとした原決定の処分が著しく不当であるとする事由は見出し難い。

右のとおり、各論旨は理由がない。

よって、本件抗告は理由がないから少年法33条1項後段、少年審判規則50条によりこれを棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 森眞樹 中野久利)

附添人の抗告申立書及び意見書並びに少年の抗告申立書〈省略〉

〔参考1〕 原審(横浜家 平6(少)8280号 ぐ犯保護事件 平7.1.6決定)〈省略〉

〔参考2〕 処遇勧告書〈省略〉

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